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新潟地方裁判所 昭和36年(ワ)474号 判決

原告 高橋茂

被告 国 外二名

訴訟代理人 河津圭一 外六名

主文

1、被告国は原告に対し金五万円を支払え。

2、原告の被告国に対するその余の請求並びに被告嶋文雄及び同渡辺啓に対する請求をいずれも棄却する。

3、訴訟費用中原告と被告嶋文雄及び同渡辺啓との間に生じた分は原告の負担としその余はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告国の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

(一)  被告国は原告に対し金一〇万円を支払え。

(二)  被告嶋文雄、同渡辺啓は各自新潟市内発行の新潟日報朝刊第三面下段部分に三号活字をもつて左記謝罪広告文を掲載せよ。

謝罪広告

私達は昭和三十五年六月十七日新潟港工事事務所会議室において、全港湾建設局労働組合第一港湾建設局地方本部新潟港工事事務所支部と団体交渉を行つた際、貴殿が書類バサミを突きとばし、そのため新潟港工事事務所次長渡辺啓の左顔部に当り三日間の安静加療を要する左顔部打撲症の傷害を負わせた旨全く虚偽の事実を上司である第一港湾建設局長に申告し、そのため右争点を主たる処分事実として右局長をして貴殿に対し、停職一カ月の処分をなさしめ、貴殿の名誉を甚しく毀損したことは誠に申訳なく、ここに深く謝罪いたします。

昭和 年 月 日

嶋文雄

渡辺啓

秋田市保戸野原の町市営住宅九号

高橋茂殿

(三)  訴訟費用は被告等の負担とする。

二、被告等

原告の被告等に対する本訴請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はいずれも原告の負担とする。

第二、原告側の主張

一、請求原因

(一)  被告嶋文雄は運輸省第一港湾建設局新潟港工事事務所所長、被告渡辺啓は昭和三六年三月迄同所次長の職にあつたものであり、原告は右第一港湾建設局秋田港工事事務所附属土崎機械工場勤務職員(運輸技官)であり、かつ、全港湾建設労働組合第一港湾建設局地方本部秋田港支部執行委員である。

(二)  原告は昭和三五年九月二四日その任命権者である第一港湾建設局長幸野弘道より国家公務員法第八二条第二号第三号に該当する事由ありとして、停職一カ月を内容とする懲戒処分を受け、その旨その理由と共に右第一港湾建設局発行の局報(末尾添付の局報号外)に掲載され、局所属職員に周知徹底されるところとなつた。即ち右局報号外は昭和三五年一〇月初旬予備を含めて二〇〇部位発行され、実際配布されたのは一五〇部位であり、その配布先は第一港湾建設局から第四港湾建設局までの各局及び第一港湾建設局管内の各事務所と運輸省港湾局であつた。

(三)  しかしながら、右局報号外に掲載された処分理由の第4項の事実は全くの虚構であり、原告は右処分理由第4項の如き被告渡辺次長に対し「三日間の安静加療を要する左顔部打撲症」の傷害を負わしめる加害行為をしていない。

右処分理由第4項の如き虚構の事実をもつて原告を処分する根拠になつたのは、被告嶋及び同渡辺の両名によつて昭和三五年六月一七日以後前記労働組合並びに原告がその活動家であることを嫌悪する余り虚構の事実を作為し、右被告両名の上司であり、かつ、原告の処分権者たる第一港湾建設局長に申告したためであり、右局長幸野弘道は申告の真偽を十分調査することなく処分の理由にしたことによる。

右は公務員たる右被告両名と第一港湾建設局長とが、その職務を行うにつき故意、過失のあつたことを意味するものである。

(四)  原告は右虚構事実が処分理由とされ、職員に周知されたことにより、公務員として又労働組合員として甚大な名誉の毀損を受けたし、精神的苦痛を感じた。

この精神的損害は金銭に評価すると金一〇万円と算定するのが相当である。被告国は国家賠償法第一条第一項によりこの損害を賠償すべきであり、被告嶋及び同渡辺は民法第七〇九条第七二三条により原告の毀損された名誉を回復するため、請求の趣旨記載の謝罪文を掲載すべき義務がある。

よつて本訴請求に及ぶものである。

(五)  なお被告嶋及び同渡辺は最高裁判所昭和二八年(オ)第六二五号事件判決を引用し責任がない旨抗争するけれども、原告が右被告両名に求めるのは民法第七二三条による名誉回復の措置であるから、右判示の誤解に基く抗弁である。

二、被告側の積極的主張に対する答弁並びに原告の主張

(一)  団体交渉に至る経過

昭和三五年四月被告嶋が新潟港工事事務所所長に赴任するや、前任者白石所長と異り、従来の労使間に確立されていた交渉ルールを無視する等労使間の慣行に反し、しばしば組合に対する敵意ある態度をとつていた。

当時、組合と当局(管理者側)との間に(1) デスク要員の増員問題(2) 船舶一時転用(3) 能登号の問題等があつて、労使間に紛争が生じ、これに対し嶋所長等は誠意ある態度を示さず、組合の要求を無視する態度をとつていた。

組合は右の問題と共に嶋所長等管理者側の組合に対する態度を問題として円滑な労使関係の発展を望む立場から速やかなる是正を求めていたが、かかる状況下で六月一七日の団体交渉が持たれたのである。

当日、交渉に先だち嶋所長等管理者側と組合との間に於て交渉の出席者及び交渉ルールについて事前の話合いをし、組合側交渉委員を新潟港支部闘争委員(三役執行委員等)及び一建地方本部より二名とし、他にオブザーバーとして原告を含む秋田港と酒田港支部のオルグ約八名の出席を認める旨取決めたものである。被告側はオブザーバーの発言を認めていなかつた旨主張するけれども、オブザーバーの発言や傍聴者の扱いに関しては何ら決められていなかつた。むしろオブザーバーについては単なる傍聴者と異り、交渉委員に準ずるものとして双方で考えられており、一建地方本部に所属する秋田港支部の原告が発言することは何ら交渉ルールに違反でもない。

(二)  当日の団体交渉

(1)  昭和三五年六月一七日午前一〇時四〇分頃から被告側の主張のような出席者で新潟港工事事務所会議室において全港湾建設局労働組合第一港湾建設局新潟港工事事務所支部と新潟港工事事務所管理者との団体交渉が行われた。その際の机、椅子及び関係者の着席模様は別紙第一見取図のとおりである。被告側は「同型の机が一列二個であつた」旨主張するけれども、この主張は真実に反するものである。そして管理者側は組合の要求に対し誠意ある態度を示さないでいた。

(2)  午後の団体交渉が午後二時三五分頃より再開された事実は被告側主張のとおりである。又午後三時五分頃から組合員がその団体交渉の傍聴につめかけた事実も被告側主張のとおりである。しかしその人数、入室の仕方については否認する。即ち傍聴に集つた組合員等は前記デスク要員の増員、船舶の一時転用、能登号問題が自分達の労働条件に重大な関係があることを知つており、午前中からの団体交渉が進展しないことを心配して自然発生的に集つたのである。

傍聴者が会議室に集つたのは被告側で主張するような「なだれ込む」という事実はなく、又管理者側より阻止された事実もないし、人数も三、四〇名であつた。三々五々集合し、入室したものであつて団体交渉を混乱におとし入れるような事実は全く存しなかつた。しかるに嶋所長はこれを交渉ルール違反(傍聴者の問題は特に交渉ルールとして確立されていなかつた。)だとして組合側の傍聴者問題について事情の説明、質問、発言に対し一切応答せず、午後三時五〇分頃まで黙否を続けた。そこで高島三郎副委員長はかかる状態を解決し、団体交渉を継続するため休憩の提案をした。

国家公務員法第九八条第二項は協約締結を否定しながらも、団体交渉による労働条件等の問題解決を当然の前提としているので、団体交渉を問題解決の場と考え、誠意をもつて団体交渉を行う意思が存するならば、右休憩提案は全く時機を得た提案であつたというべきにも拘らず、管理者側は右の休憩提案にさえも黙否を続け不当な交渉拒否に等しい態度をとつた。

(3)  そこで原告は事態収拾をはかるために管理者側各出席者に対し「収拾する意思はないか」或は「工事課長はどうか」等と発言したが、依然として管理者側は黙否を続けていた。渡辺次長とはかつて秋田港工事事務所に勤務し(昭和三一年九月から三三年六月まで)知り合いの間柄であつたので一層何等かの反応を期待して「次長はどうか」と発言した。ところが渡辺次長はこれを全く無視する態度をとり腕ぐみしたままであつた。そこで原告は管理者側の注意を換起するため、前に進み出て渡辺次長の前方机上に二冊重ねてあつた書類バサミを右手で軽く前方に押しやつたところ、書類バサミは机上を滑り渡辺次長の膝に落ち、更にその内の一冊は床上に落下した。従つて書類バサミは渡辺次長の左顔部に当つた事実は全くない。別紙第一見取図のとおりの机の配列、書類バサミの位置、形状、渡辺次長の位置等からみても、当り得る筈もない。

(4)  被告側は「組合員が右書類バサミが落下した後、騒然となつた」とか、或は「組合員が暴力をふるつた」かの如く主張するけれども、かような事実は全く存しない。嶋所長はそれまで黙否を続けていたが、渡辺次長が散乱した書類等を拾い上げた後、渡辺次長に、組合に対し抗議することを慫慂し、その後に「暴力だ」という発言をしたにすぎない。しかも嶋は机上に腰を下ろし、机を激しく叩き與奮さえして組合員から顰躄をかつたものである。これ等は結局交渉打切りの時期を狙つた嶋所長等が故意につくりあげた口実にすぎない。

(三)  団体交渉終了後の状況

(1)  管理者側が休憩の提案を受諾したことにより、団体交渉が午後五時五五分頃終了した事実、更に今後の団体交渉について午後七時頃村木中央闘争委員、佐藤秋田港支部長、高島一建地本副委員長、堀内支部長等が所長室に赴き交渉し翌日の団体交渉を約束した事実は、いずれも被告側主張のとおりである。その際嶋所長は団体交渉拒否の理由として渡辺次長が暴行を受けた点をあげているが、その痕跡はなく、却つて浅辺次長は嶋所長の発言に困惑を示してすらいた。又渡辺次長が痛みを訴えて所長室で寝ていたこと、及び医者に電話したことは、いずれも否認する。

(2)  被告側主張の日時に嶋所長及び渡辺次長等がタクシーで大藤医院へ赴いた事実、更に被告側主張のとおりの記載ある大藤一夫医師の診断書(乙第二号証)が作成されている事実は、いずれも認める。大藤医院に赴いた際、嶋所長及び渡辺次長の両名は飲酒しており、大藤医師の診断が果して行われたか否かも疑わしい。診断されたとしても全く渡辺次長の一方的な訴のみをとり入れ、客観的な診断をせず、真実は打撲の事実が存しないのに、これあるが如く診断書(乙第二号証)を作成したものである。

ちなみに右診断書の根拠となる同医師作成のカルテ(甲第一号証の一、二)には当初「左顔部打撲、自発痛強し、皮下出血なく、腫張なし、骨折徴候なし」との記載になつていた。ところがその後昭和三五年一二月一日原告を請求者とする人事院公開口頭審理手続に於て証人として尋問を受けた際、右カルテに記載ないのに「軽度の発赤あり」とカルテを読みあげ、偽証したため、その後偽証を隠匿せんとして同日右証言後カルテに「発赤あり」即ちRotung(+)と追加記載したものである。

なお右大藤医師は昭和三四年一〇月六日付カルテ不正記載等の理由により保険医療機関並びに保険医の指定取消処分(新潟県報第八八号)を受けたことあり、このことと右偽証とを合せ考えれば右医師の診断が信用できないことは明らかである。

(3)  嶋所長及び渡辺次長等が同夜室長旅館で第一港湾建設局の幹部と要談した事実、渡辺次長が同夜午後一二時頃同旅館から帰宅した事実は、いずれも認める。その内容は否認する。

以上各点にわたり述べたとおり、原告が渡辺次長の左顔部に書類バサミを当て打撲症を負わせた事実は存しないのである。

(四)  嶋所長及び渡辺次長は共謀して原告に右打撲症の加害事実がないにもかかわらず、これあるが如く虚偽の事実を申告し、原告が不利益な処分を受けるに至つたのは、原告が活溌な組合活動家であり、その組合活動が管理者側にとつて脅威となつていたことから当局がこれに対する弾圧を意図し、報復的処分を行つたものであり、不当労働行為である。

三、嶋所長及び渡辺次長は虚偽の事実を故意に原告の任命権者たる第一港湾建設局長幸野弘道に申告し、幸野弘道はその真偽を調査することなく漫然と本件停職一カ月の処分を行つたもので、該処分につき過失があつたものといわねばならない。

第三、被告等の主張

一、請求原因に対する答弁

請求原因第(一)、(二)項は認める。同第(三)、(四)項は争う。但し被告嶋及び同渡辺が本件処分理由となつた事実について、原告の処分権者たる第一港湾建設局長に申告したことは認める。

二、被告嶋及び同渡辺の主張

原告の被告嶋及び同渡辺に対する本訴請求が、被告嶋及び同渡辺の両名の行為が公権力の行使に当る公務員の職務行為であることを前提にしていることは、原告が国に対して国家賠償法第一条第一項による損害賠償請求していることにより明らかである。しかし、公権力の行使に当る公務員の職務行為に基く損害については、もつぱら国が賠償の責に任じ、職務の執行に当つた公務員個人は被害者に対してその責任を負担するものでないことは、同法の解釈上明らかである(最高裁昭和二八年(オ)第六二五号昭和三〇、四、一九判決)。よつて右被告両名に対する訴は爾余の審理をまつまでもなく、棄却せられるべきである。

三、被告側の積極的主張並びに原告の主張に対する答弁

本件の主な争点は、昭和三五年六月一七日新潟港工事事務所会議室における団体交渉の際、渡辺次長の机の上にあつた書類バサミ(二冊重ねてあつた。)を原告が同次長の方に向けて押した(以上の点は原告も自認するところである。)結果、「その押し方が強くてその書類バサミが同次長に飛び、同次長の左頬部に当つて打撲症を与えた」か否かの点に帰する。

本件暴行に関する事実の概要は次のとおりである。

(一)  昭和三五年六月一七日運輸省第一港湾建設局新潟港工事事務所の所長室において所長嶋文雄、次長渡辺啓、庶務課長漆谷治平及び第二工事課長山崎幹雄が用談中、全港湾建設労働組合第一港湾建設局地方本部の専従委員高島三郎副委員長が入室して「これから組合交渉を持ちたい」旨を申入れた。これに対し庶務課長より「従来の交渉ルールに従い闘争委員以上と話し合う。所長は午後三時三〇分より地盤沈下の会議があるのでその時間までしか交渉できない。交渉の開始は一〇時三〇分とする」旨を回答したところ、高島は「秋田港及び酒田港より応援に来ている組合員がいるのでオブザーバーとして出席させてくれ」と要求した。そこで庶務課長は「オブザーバーは認めるが発言は許さない」旨通告し、これに対し高島は「管理者側の意向は関係者に伝える」旨を述べて退室した。当時組合と管理者側との間に原告主張の(1) デスク要員の増員の問題、(2) 船舶一時転用、(3) 能登号の問題等を含む問題があつたのは事実そのとおりである。

(二)(イ)  右交渉は右事務所の会議室において行われたが、出席者は管理者側所長、次長、各課長(四名)のほか新潟調査設計事務所の課長二名(二瓶、根本)、組合側は高島地本副委員長外二十九名(原告を含む秋田港職員八名酒田港職員一名を含む)であつて、交渉開始時における机、椅子等の配置及び関係者の着席の模様は別紙第二見取図のとおりであつた。なお机の配置については、従来ならば原告主張のとおり同型の机が二列四個であつたけれども、当日に限り同型の机二個が一列に長く並べて置かれたものである(組合側は交渉席の準備をする際、管理者側、組合側合計四〇名に近い多人数の収容を図るとともに接近して話ができるように、かくの如き配置をしたものと思われる。原告は「自分が書類バサミを突き飛ばして渡辺次長に打撲を与えたことが無い。」ということを言うために、机が二列四個であつたと主張されているものと思われるが、二列四個では渡辺次長の前の書類バサミに手が届かないし(乙第六号証参照)、仮に届いたとしてもこれを原告主張のように押し落すことは無理であり、またそのような無理なことを敢て団体交渉の席で原告がしたというのは不自然である。)。

右交渉が実際に開始されたのは一〇時四〇分頃であるが交渉は容易に本論の討議に入らず、午後一時三〇分に至るまで組合側はオブザーバーに発言を認めるよう要求し、または嶋所長が正当な労使間の慣行に反し組合に対し敵意ある態度等をとつたことがないにもかかわらず、嶋所長の組合に対する態度を難詰攻撃する等のことに終始し、その間組合員横山正仁が窓より侵入し、組合員近藤秀夫外二名も加わつた。

(ロ)  午後の交渉は午後二時三五分頃再開されたが、組合側は依然実質的な討論に入らず、事態の悪化が管理者側の責任であるとして謝罪をせまり、所長がこれを拒んで押問答があつたところ、三時五分頃組合側一〇〇名位の者(新潟港工事々務所、機械整備事務所職員)が入口及び窓等よりこの一室になだれ込んで室中に充満し、交渉を混乱にもち込んだ。そのため所長、次長、庶務課長は、交互に右闖入者等に対して職場に復帰せよ、交渉はルールに従い闘争委員以上で話し合う旨幾度となく懇示したが、同人等はこれに一顧だに与えず単に退室しないばかりでなく、てんでに怒罵、喧噪するのみで混乱裡に時間を経過した。ここにおいて管理者側は交渉のルール違反と指摘して事態の正常化を求め、かつ、かような状態では交渉を進められない旨述べ、このままでは話合が不能であるとして沈黙した。しかるにこれを見て原告等は「組合員が帰る状態を何故つくらぬか」「管理者は帰れ、働けと云うだけが職務か」「大勢なら何も云えないが小人数なら誤魔化せるか」「なぜ話せないのか、次長、課長は所長を補佐する立場で一つも職務を履行していない」などと次々に悪罵して管理者側にせまつた。そこで次長が重ねて「交渉ルールに従い闘争委員以上となら話し合いに応ずる」旨宣示したところ、ややあつて高島から管理者側に「この辺で休憩をとつて意思統一をしたらどうか」との発言があつた。

(ハ)  しかし右高島の休憩の提案に対して管理者側が発言しなかつたところ、またもや原告は、「経理課長収拾する意思ないか」「工事課長どうか」と怒鳴り、同人等が答えないのを見るや「次長どうか」と怒号し、次長も答えぬと見るや第二列中央辺の自席からやにわに立ち上り、最前列に割つて出てその勢いで上背のある身を机上に乗り出すなり次長の前に重ねてあつた書類バサミ二冊を右手をもつて次長目掛けて押し飛ばした。その時刻は午後五時三〇分頃であつた。この書類バサミは「ライオンNo. 一〇〇」の製品であつて次長が関係資料をこれに挾んでいたものであり、その重量及び置き方は別紙第三見取図のとおりであつたが上に重ねた書類バサミが次長の顔面に舞い飛んで角の金具の部分が次長の左顔の頬骨付近に命中して打撲傷を与え、他の一冊は次長の腹部に当つて、共に次長の左脇下の床に落下した。

原告が右の如く書類バサミを押し飛した状況の詳細について。

原告は身長一七〇糎を越える上背があり、それに相応の体格をしており、かつ、現場業務に従事していて体力も強く、団体交渉のときは組合側の前から第二列目中央附近に着席していた。そして原告は最前列の高島と堀内との間に片身を割り込ませて書類バサミを突き飛ばした。検証の結果明らかなとおり机は別紙第一見取図のとおり長さ三米六四糎であり、組合側の第一列が七名だという主張であるから、その椅子の幅は四〇糎であるから、右七名の平均間隔は一四糎ということとなり、高島と堀内との椅子の間隔もその前後であり、従つて原告が容易に全身を割り込ませることができなかつたことは自明の理である(この点は人事院審理において高島三郎副委員長が「高島と堀内との間は身体を斜にして入れることができる程度のものであつたこと、原告が立ち上つて机のところに出た時の姿勢は原告の足が高島の椅子よりちよつと後にあつた」旨証言している((乙第七号証))ことと符合する。)。

本件書類バサミの位置について原告は別紙第一見取図のとおり、渡辺次長の座席からみて縦位置で机の端から三〇ないし四〇糎の処にあつた旨主張するけれども、これは机が二列四個の主張に合わせて逆算された間に合せの主張に過ぎない。本件書類バサミの位置が管理者の机端から三〇糎を超える旨の証言は、原告側の証人においてさえ皆無である。結局書類バサミは組合側の机の端から約五〇糎の処に横位置にあり、原告はこれに力を入れて押すために、とつさに左手を机につき、体を少しのり出して、書類バサミを押し飛ばしたものである(人事院審理の際、高島三郎は「身体を少しのり出して書類バサミを押した」旨の証言をしている((乙第七号証))点と符合する)。

ところで書類バサミ二冊は上にあつたのが五六〇グラムで、下のが六三〇グラムであつて、下のには議事録等の印刷物が綴じられており、上のには当面の団体交渉関係資料が綴り込まれ、かつ、その他メモ等がはさまれていた。当時供用して間もない右書類バサミは表紙が堅く反りかえつてやや開き加減になつていた。従つて被告側主張の態様にある書類バサミに強い力で押し飛ばせば、渡辺次長へ向いて開き口をもつ上の書類バサミは口を開きつつ飛ぶ結果、その上端は机の高さより相当上方に達するのは当然である。

次に渡辺次長の座り方についてであるが、同次長は背が高いためと痩身で長く着席していると尻が痛くなるため、長座のときは通常椅子に浅く腰をかけて仰向け気味に着席する癖があり又、頭を椅子の上部にもたせかける姿勢をとることも多く、当日もそのような姿勢をとつて着席していた。そしてこのような姿勢の渡辺次長の頬の位置は床より約九七糎位であり、書類バサミの上表は床より約八一糎程度の高さである(即ち机の高さが約七五・五糎、書類バサミ二冊の高さが約五・五糎である。)から、右の高低差は約一六糎にすぎない。従つて押し飛ばされた書類バサミの表紙が開いたとすると、表紙一面の幅は二〇糎であるからこの表紙の角が渡辺次長の頬の高さに達することは十分可能である。そして被告側主張の机、書類バサミの配置渡辺次長の頬の位置等を条件にとつて実験した場合、書類バサミの一端が渡辺次長の頬に当る可能性が十分ある(被告国のなした実験三二回のうち、右の頬の高さに達したもの五回)。

(ニ)  この事件で所長は「暴力は止めろ」と叫び満場は総立ちとなつた。次長は急いで散乱した書類を拾い集めるや「こんな暴力化した状態では話合いに応ぜられない」として立ち上り所長、次長はこの混乱の場から身を引こうとした。しかし両名とも組合員によつて自由を阻まれたばかりか、このとき組合員の一部は右被告両名を追つて、その一名は所長に背後から打つてかかろうとしたので、見かねた高島等が机をまたいで管理者側へ来て「暴力は止めろ」と叫んでその者を取押え窓から外へ押し出したが、他方山崎課長は次長の退場を助けようとして組合員から胸部を強打された。その間他の組合員等は立ち騒いで机上に土足で上り灰皿を机に叩きつける等の乱暴をした。しかし高島等は一方これを制し、他方所長に対し着席して話し合うよう求めたが、管理者側はこのような形では話合できないと見てこれを拒んだところ三〇分の休憩の要求があり、管理者側もこれを了解して、五時五五分頃管理者側はようやく所長室に引き揚げ得た。

交渉委員でもない原告が新潟港支部の問題についてオブザーバーの資格で出席が承認されたからといつて当然発言してよい理由はなく、交渉委員を差し置いて管理者側に向い一方的譲歩を要求する強硬な発言を行うことは、右交渉ルール違反による混乱に更に輪をかけるものであつて、その強引さは平穏に団交の秩序を回復するに役立たず、また到底そのような意図による行為とも認め難かつた。(原告は渡辺次長が原告と知合の間柄だと述べているが両者間に何らの友好的関係もあつたわけではない。)しかして、原告はその直後に本件暴行を行つたものであつて、もしも原告主張の如く「軽く前方に押しやつた」だけでは二冊重ねた書類バサミが渡辺次長に飛ぶ筈もなく、机から落下することさえ難しいし、またそのようなことでいやしくも嶋所長が「暴力だ」と発言する道理は無い(但し、所長が組合側がルールによる交渉を無視し、衆を恃むと見られる態度に出た挙句にこの暴挙が行われたため、隠忍し得なくなつて立ち上つた際机に腰を下ろし、机をうつて組合側の注意を喚起したこと、所長が当日の団交継続拒否の理由として原告が渡辺次長に対し暴行を働いたことを主張したことはいずれも原告主張のとおりであると認める。右発言はとりも直さず本件暴行があつたことの裏付であつて、本件暴行が事実であつたが故のこの発言である。)。

(ホ)  その後組合側で協議がなされ、午後七時頃に至つて村木隆雄(全港湾建設労働組合副委員長((中央闘争委員))で当時出向いて来ていた。)外二名が所長室を訪ね執行委員以上で話合い、事態の収拾を計りたい旨申入れたが、所長次長は本日の状況では話合不能であるとしてこれを拒否した。これに対して、組合側はさらに協議の後、「同日の交渉は打切りとし、翌日闘争委員以上のメンバーで交渉したい」旨申入れがあり、管理者側も、これを応諾した。

(三)(イ)  渡辺次長は右のように午後五時五五分頃管理者側が引き揚げのため所長室に向い、次第に昂奮より脱するとともに、左頬部に鈍痛を覚えたので、所長にこれを訴え、所長室においてはつとめて長椅子に横臥して休養し、自分のかかりつけの医院(新潟市関屋本村二丁目二二四番地阿部医院)に受診の目的で電話をかけたが、その時たまたま交渉再開の話合いのため組合員が入室して来るような気配があつたので電話を打切つた。しかしその後交渉打切までに長時間を要し右医院に赴く時間的余裕が無くなつたので、右予定を変更し、所員等のかかりつけであつて、事務所から近い大藤医院で診療を受けることとし、電話で都合を聞いたうえ、午後八時頃所長とともに事務所を出たが、守衛室附近で組合員に制止され交渉が終つていないとして事務所に戻るよう強要された。そのため一旦事務所に戻つた後、少時してあらためて所長室を退去し、途中新潟調査設計事務所専門官室に立ち寄り、続いて所長官舎に赴き、同所で小憩した。次いで電話で呼んだタクシーに所長と同乗し、途中で遭つた山崎課長をも加えて午後八時四〇分頃大藤医院に至り、所長と共に同医師に会つて診療を受けた。その際大藤一夫医師は診察のうえガーゼにゼノールを塗布して患部に貼布し、次長に「首から上の打撲症は特に注意を要する。特に目の下は顔面神経痛となるおそれがあるから大事にするよう。」との注意を与え、同次長の請求により、その場で左記内容の診断書(乙第二号証)を作成交付した。

一、病名 左顔部打撲

附記 右症に依り約三日間の安静加療を必要と認めます。

右のとおり診断いたします。

原告主張(二、(三)、2)のうち大藤医師作成のカルテ(甲第一号証の一、二)に当初「左顔部打撲、自発痛強し、皮下出血なく、腫張なし、骨折徴候なし」との記載がなされていた事実、その後昭和三五年一二月一日の人事院公開口頭審理手続において証人として尋問を受けた際、右カルテに記載ないのに「軽度の発赤あり」とカルテを読み上げた事実、その証言後に至り同カルテに「発赤あり」(Rotung(+))を追加記載した事実はいずれも認める。しかし大藤医師が右の如く一部誤つた証言したのは、被告側とは何らの関係もない。右の如き追加記載がなされたとしても右診断書の記載は客観的診断の結果である。

更に大藤医師が昭和三四年一〇月六日付カルテ不正記載等の理由により保険医療機関及び保険医の指定取消処分(新潟県報第八八号)を受けた事実は認めるが、本件より以前のことであり、本件とは全然関係がない。なお大藤医院に赴いた際、嶋所長が酒気を帯びていた事実は原告主張のとおりであるが、それは工事事務所から医院へ赴く途中官舎に立寄つた際、その一日の疲労をいやすためウイスキーを飲用したためである。

(ロ) 嶋所長、渡辺次長、山崎課長は同夜上大川前通五番町の室長旅館において第一港湾建設局の幹部と組合交渉の問題について要談があつたので、途次右次長の診療を済ますと待たせておいたタクシーによつて右旅館に至つたが、その時刻は概ね午後九時頃であつた。

なおその夜渡辺次長が所用を済ませて自宅に帰つたのは午後一二時過ぎであつて、同人はその翌日及び翌々日は右医師の注意もあり、また連日の組合問題の用務等で疲労していたので自宅において休養した。

(四) 結論

原告が書類バサミを押し飛した結果書類バサミの上の表紙の一端の金属被覆部分が渡辺次長の左頬部に打当り、打撲症を与えたことは事実であり、この事実は渡辺次長の本人尋問の結果及び大藤医師の証言等によつて裏付けられている。

仮に原告の押し飛ばした書類バサミが渡辺次長の左頬部に打撲症を与えるに至らなかつたとしても、原告が団体交渉の席上、答弁を強要するため書類バサミを渡辺次長目がけて押し飛ばし、同次長の身体にこれを打ち当てるが如きことは公務員として許されざる非行であることには変りはない。従つて嶋所長、渡辺次長が右の事実を上司に報告し、第一港湾建設局長が原告の本件暴行を理由に加えて原告に対する徴戒処分をしたことは当然であつて、当り場所が頬であつたため結果的に打撲症が発生したかどうかという偶然的事実は本件暴行の本質的評価を左右するものではない。

証拠関係〈省略〉

理由

一、請求原因第(一)、(二)項の事実は当事者間に争がない。

二、そこで昭和三五年六月一七日新潟港工事事務所会議室における団体交渉の際、渡辺次長の机の前方にあつた書類バサミ(重ねてあつた二冊)を原告が同次長の方へ右手で押した結果、「その書類バサミが同次長の左顔部に当つて同次長に対し、三日間の安静加療を要する左顔部打撲症を負わせたか否か」について判断する。

(一)  次の(イ)から(ホ)までの事実は大体に於て当事者間に争がない。

(イ)  昭和三五年六月一七日午前一〇時四〇分頃から新潟港工事事務所に於て全港湾建設局労働組合第一港湾建設局地方本部新潟港工事事務所支部と新潟港工事事務所の管理者との間で、それまでに既にけん案となつていたデスク要員の増員の問題その他につき団体交渉が開始された。

(ロ)  出席者は、管理者側が嶋所長、渡辺次長、各課長の四名、新潟調査設計事務所の課長二名(二瓶庶務課長及び根本試験課長)であり、組合側が高島地方本部副委員長外二九名(原告を含む秋田港の職員八名及び酒田港の職員一名等のオブザーバーを含む)であつて、その着席の模様は別紙第一、二見取図のとおりであつた(但し見取図の机が四個二列であると原告側で主張し、二個一列であると被告側で争つており、かつ、書類バサミの位置も別紙第一、二見取図のとおり争がある。)

(ハ)  団体交渉が開始された当初、管理者側で右オブザーバーの発言を認めない旨の態度を示したことから紛糾して団体交渉の本論に入れないまま昼食時の休憩となり、午後二時三五分頃再開されたが、(午後の着席模様も別紙第一、二見取図と同じであつたが、二瓶庶務課長は午後出席しなかつた。)午前中と同様の有様が続き、更に午後三時頃組合員の相当数が各職場から相次で団体交渉を見に右会議室へつめかけたため、その組合員達に対し管理者側が各職場へ復帰するように指示したことから混乱を増し、管理者側は交渉不可能とみて沈黙する態度に出た。

午後五時三〇分頃に至り高島副委員長から管理者側に対し事態収拾のため「暫時の休憩をしたらどうか」という提案がなされたけれども、管理者側ではなおも沈黙していたところ、ここにおいて原告は田川経理課長及び山崎第二工事課長に対し順次この混乱している事態を収拾する意思があるかという趣旨の発言したが、何等の回答が得られなかつたので、渡辺次長に対し「次長どうか」と発言したけれども、依然管理者側は全く沈黙の態度を続けたため、原告は組合側の第二列目のほぼ中央の座席から突然立ち上り第一列目の高島副委員長と堀内支部長との各着席している間に割つて出て、渡辺次長の前の机上に重ねてあつた書類バサミ二冊を左手を机について右手で同次長に向けて押した結果、その押し方や勢力或は書類バサミの移動、落下した模様等については争があるにしても、少くともその内の一冊は同次長の身体に当り、結局二冊とも次長の座席の南側に落下して、はさんであつた書類等が床上に散乱した。

(ニ)  右原告の所為のため会議室内は混乱に陥り、管理者側で休憩の提案を受諾して、午後五時五五分頃休憩という形になつて管理者側は所長室へ引揚げた。

午後七時頃所長室に於て管理者側と組合側幹部との間で、当日の団体交渉を打ち切りとして翌日の団体交渉の段取りが約束された。

(ホ)  その後嶋所長及び渡辺次長は当日の午後八時四〇分頃タクシーで大藤医院(新潟市附船町一丁目四、三八三番地)に赴いた(実際に診察を受けたとの点は争がある。)。更に大藤一夫医師は同日付で左記の記載ある診断書を渡辺次長に作成交付している。

「病名 左顔部打撲

附記 右症に依り約三日間の安静加療を必要と認めます

右のとおり診断致します」

(二)  ところで成立に争のない乙第六号証、証人漆谷治平、根本義意、山崎幹雄の各証言、被告嶋文雄及び同渡辺啓の各本人尋問の結果、検証の結果、弁論の全趣旨によれば、当日の団体交渉に用いられた机は別紙第二見取図のとおり二個一列であつたこと、書類バサミは別紙第三見取図のとおり渡辺次長の前に机の端から約二〇糎位の処に横位置におかれてあつたこと、この書類バサミ(この大きさ重さは別紙第三見取図どおり)を原告が左手を机につき、右手でもつて渡辺次長めがけて押し飛した結果、その書類バサミの一部が同次長の身体の一部に当つたことが認められる。

右認定に反する原告の立証(甲第二四号証から第三四号証まで、証人高島三郎、堀内喜三郎、市島金吾、熊谷四郎の各証言、原告本人尋問の結果)はいずれも措信できず、その他右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  証人大藤一夫の証言、被告渡辺啓の本人尋問の結果によれば、当一七日の午後八時四〇分頃嶋所長及び渡辺次長の両名は共に一台のタクシーで所長官舎から大藤医院に赴き、そのタクシーを同医院の前に待たせておいて同医院の中にはいり、渡辺次長が大藤医師の診察を受けたところ、外観上特に異変はなかつたけれども、同次長が左頬部の自発痛を訴えるので、同医師は将来を慮つて一応ゼノール湿布を施し、同次長から診断書の請求を受けたので、これを断わる特段の事由もなく一応暫く経過をみる意味もあつて、被告側主張のとおりの記載ある診断書(乙第二号証)を作成して同次長に交付した事実を認めることができる。

更に被告嶋文雄及び同渡辺啓の各本人尋問の結果によれば、大藤医院の前に待たせておいたタクシーで嶋所長及び渡辺次長が新潟市上大川前五番町所在の室長旅館に行き第一港湾建設局の幹部と労働組合との交渉について要談し、かつ、飲食し(酒を含む)、渡辺次長はその会合に最終頃まで居り、午後一二時過頃同旅館からタクシーで当時の官舎へ帰つた事実、管理者側で翌一八日の夜、渡辺次長宅に於て一七日と一八日との両日の組合との交渉日誌の整理が行われ、執筆は漆谷庶務課長が担当したが渡辺次長もその整理に加わつていた事実、渡辺次長は十七日夜大藤医師にゼノール湿布をしてもらつたまま一九日まで放置しておいたが、特にゼノールが乾操してしまつていたということもなく、又再度の診察を受けてもいないし、かつ、自宅でも手当を加えていなかつた事実等を認めることができる。

右認定を左右するに足りる証拠はない。

渡辺次長が診断書(乙第二号証)記載の「約三日間の安静加療を必要と認めます」というとおりに翌一八日と翌々日一九日と両日を欠勤したのは、連日の団体交渉による疲れが出ていたためでもあつたことは、被告側で自認しているところである。大藤医師が渡辺次長を診察した結果作成したカルテ(甲第一号証の一、二)には当初「左顔部打撲、自発痛強し、皮下出血なく腫張なし、骨折徴候なし」という趣旨の記載になつていたところ、昭和三五年一二月一日人事院公開口頭審理手続に於て大藤医師が証人尋問を受けた際、右カルテに記載なかつたにも拘らず「軽度の発赤あり」とカルテを読み上げたため、その後同カルテに「発赤あり」即ちRotung(十)と追加記載した事実は当事者間に争がない。

これ等の事実を考え併せるならば、乙第二号証(診断書)をもつて、それに記載のとおりの傷害を受けたとの認定資料に出来ないというべきである。又半年も経過し、かつ、右の事情で追加記載されているカルテ(甲第一号証の一、二)は証人大藤一夫の証言を参酌してみてもこれを措信できない。診断書記載のとおりの負傷したとの被告嶋文雄及び同渡辺啓の各本人尋問の結果はいずれも措信しない。その他診断書記載のとおりの受傷したことを肯認するに足りる証拠はない。

(四)  以上(一)から(三)までのことと弁論の全趣旨とを総合すれば、渡辺次長の左顔部に書類バサミが打ち当る可能性がないわけではないけれども、右に説示した事実関係の下では渡辺次長が「左顔部に三日間の安静加療を要する打撲症」を受けたとはいえない。結局原告が渡辺次長に対し書類バサミを押し飛したことに因り、その一部が同次長の左顔部に打ち当つて傷害を与えたとはいえず、たとえ左顔部に一部が当つたとしても暴行の程度にとどまり、傷害の程度に至つたとは推断し難い。

三、従つて嶋所長及び渡辺次長が被告側主張のとおりの記載ある診断書の存在したことを奇貨とし、たとえ書類バサミが打ち当つたとしても単なる暴行にとどまつたのにかかわらず、原告に対する処分権者たる第一港湾建設局長幸野弘道に診断書記載のとおり受傷した旨を申告し、同局長も事件の真相を十分調査することなく、そのまま停職一カ月の徴戒処分の理由の一つとしたと考えられる。かくて嶋所長及び渡辺次長、幸野弘道局長等の過失による違法な職務の履行に因り、原告は打撲症を与えてないにもかかわらず「三日間の安静加療を要する左顔部打撲症を負わしめた」旨を処分理由の一つとされたものというべく、そしてこのことが第一港湾建設局が昭和三五年一〇月初旬発行した局報号外(末尾添付のとおり)に処分理由の一つとして掲載されて、その局報号外が全国の港湾建設局その他に配布された結果、第一港湾建設局所属職員はじめ全国の各港湾建設局の関係職員に周知徹底されることとなつたことは当事者に争のないところであるから、原告が名誉の毀損を受けて精神的苦痛を受けたということは明らかであるので、被告国は国家賠償法第一条により原告に対し右の慰藉をなすべき義務があるというべきである。

そこで損害額について検討するに、成立に争のない甲第一三号証によれば、原告は停職一カ月の徴戒処分を受けたことに対し人事院へ不利益処分審査請求をしたが、結局処分理由第4項、即ち本件係争の打撲症の存否について「原告の所為に因り渡辺次長が三日間の安静加療を要する打撲傷を負つたという事実はとうてい考えられないところであるけれども、書類バサミを押し飛して同次長の身体に当たらしめた行為はきわめて乱暴な行為であつて、団体交渉停滞状態を打破する意図に出たとしてもその限りに於て責任を問われてもやむをえない」という趣旨の理由で、他の処分理由と共に、結局停職一カ月の処分は人事院において承認されたことが認められる。更に原告が書類バサミを押し飛した事実及びその前後の事情は既に説示したとおりであつて、冒頭認定のような原告の地位その他諸般の事情を参酌すると被告国が原告に対し支払うべき慰藉料は金五万円をもつて相当と認める。

四、最後に、原告の被告嶋及び同渡辺に対する本訴謝罪広告の請求は、右被告両名が公権力の行使に当る公務員の職務行為であることを前提にしておる。そのことは原告が被告国に対して国家賠償法第一条第一項による損害賠償の請求をしていることから明らかである。ところで公権力の行使に当る国家公務員の職務行為に基く損害については、国家賠償法によれば、もつぱら国がその損害賠償の責任を負担し、当該公務員個人は被害者に対しその損害賠償の責任(即ち金銭賠償のみならず名誉回復の措置たる謝罪広告を含む)一切を負担しないものと解釈するのが相当である(最判30・4・19言渡民集九巻五号五三四頁)から、右被告両名に対する原告の訴はその余の判断を加えるまでもなく棄却をまぬかれない。

五、よつて原告の本件請求のうち、被告国に対する慰藉料の支払を求める部分は金五万円の限度において正当として認容すべく、これを超える部分及び被告嶋、同渡辺とに対する謝罪広告を求める部分はいずれも失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉井省己 龍前三郎 渋川満)

別紙 局報号外

第一港湾建設局

所属 秋田港工事事務所附属土崎機械工場

官職名 運輸技官(技工)

現等級号 行政職(二)三等級九号俸

氏名 高橋茂

処分時期 昭和三十五年九月二十四日

懲戒処分

国家公務員法第八二条第二号及び第三号により懲戒処分として一ケ月間停職する。

処分説明

貴殿は秋田港工事事務所附属土崎機械工場工作係として勤務中のところ

一、昭和三十五年五月二十六日午後二時頃土橋技術次長及び渡辺人事課長外二課長が秋田港工事事務所における事業進捗状況を視察した際、同所事務室内に離席者が多かつたので次長は直ちに同所石原庶務課長に対し「離席者調書」を作成することを命じ、他方渡辺人事課長に対し同調書を受領するよう命じた。よつて午後二時二〇分頃渡辺人事課長は同調書を石原庶務課長より受領し上衣左側ポケツトに納めようとしたとき、突然背後からこれを奪い取り、同課長の再三再四にわたる返還要求を無視し返還に応じなかつた。

二、昭和三十五年五月二十六日午後五時一〇分頃秋田港工事事務所会議室において土橋技術次長外二課長と同港労組支部代表者(本部役員一名を含む)と交渉を行つた際、午後六時三〇分頃部外者をまじえた直接交渉に関係のない約二〇〇名のデモ隊を許可なく誘導し、事務所構内に立ち入らしめたので激しい示威行動が行われ、交渉は午後九時頃まで全く混乱状態に陥ち入つた。

三、昭和三十五年五月二十七日午前一〇時頃土崎機械工場長頓所金吾が出勤した際、同工場長机上の「工場長頓所金吾」の名札が「工場長高橋茂」の名札に替えられてあつたので、これを出窓の上に置き執務中のところ、午前一〇時二〇分頃数一〇名の労組員と役員をまじえて入室し、話し合いを強要した、やむなく話し合いに応じていたとき、片手ハンマーと釘を持参し、工場長の阻止も聞かず自己名表示の同名札を工場長の机上に打ちつけ「外すときは断れ、ただでは駄目だ、金を出せ」と威嚇した。

四、昭和三十五年六月十七日午前一〇時四〇分頃から新潟港工事事務所会議室において同港労組支部と交渉がもたれ午後三時五分頃職員約五〇名が当局側の阻止を聞かずなだれ込み同交渉は停滞状態となつた際、午後五時三〇分頃「次長はどうか」と怒号し突然立ち上りかつ最前列におどり出て、当局側として列席していた同所渡辺次長めがけ机上の書類バサミをつき飛ばした。

このため金具のついた一冊の角が同次長の左顔のほほ骨にあたり、同次長に三日間安静加療を要する「左顔部打撲症」を負わしめた。以上貴殿の行為は国家公務員法第八二条第二号及び第三号に該当するものと認められる。よつて同条の規定により懲戒処分として一ケ月間停職する。

第一見取図、第二見取図、第三見取図〈省略〉

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